パリのラ・ロシュフーコー街の屋敷
ここはモローが終生過ごし芸術活動をした館です。
彼は生前からこの自宅兼アトリエを自分の死後
自分の美術館として開館させることを計画していました。
展示位置から調度品にいたるまで細かくプロデュースした遺言を残し
彼の死後から5年・・・
1903年、世界で初めての個人美術館
「ギュスターヴ・モロー美術館」の開館を実現させました。
家具や陶器もモローが生きていた当時そのままです。
こちらが寝室。モローや家族の肖像画が飾られています。
2階のダイニングです
とても美しいですね!
モローも同じ目線で、将来のたくさんの来訪者がここから眺め感動することを
計算していたのでしょう・・・
モローが死の3年前となる1895年に製作した随一の大作
「 ユピテルとセメレ 」
非常に緻密で繊細な描写による複雑な構成
無秩序なのに調和を感じさせる個性的な色彩表現、
幻想性や神秘性を強調する線描。。。
とても晩年期とは思えない・・・
強いエネルギーを感じます!
モローは、
「目で見えるものは信じず、心で感じることを信じた。」
のではないのでしょうか?
そんな気がします
ブルーのエナメルで美しく彩られたこの作品は
「モントレ・ア・タクト」
時計界の神様と称される天才時計師ブレゲの懐中時計です。
ケースに置かれたダイアモンド矢印形の針と、
ケース外周の突起を触ることで
時刻がわかるようになっています。
いつかは手に入れたいと夢に描いていますが
1799年の貴重な逸品なので美術館でしか見ることができません。。。
そう、 ここはヴァンドーム広場にある
ブレゲ・ミュージアムです。
うちのお店から、徒歩5分のところにあるので
時間を見つけてはよく鑑賞に来ています♪
アブラアン-ルイ・ブレゲが亡くなる1823年までに作られた時計は
約4000個と云われています。
独創性と芸術性を重んじたブレゲは、1点1点に独自の特徴を加えた為、
おなじ時計がほとんど存在しませんでした。
その多くが、王侯貴族や時の富裕層に渡り今日まで所有されてきた為
現在もオークションでは高額な価格で
美術館への買い戻し作業が行われています。
こちらの方がエマニュエル・ブレゲさん。
創業者アブラアン・ルイ・ブレゲの7代目で直系子孫です。
温厚な性格の彼はいつも優しく迎え入れてくれます。
彼はブレゲ・ブランドの経営とともにブレゲ・ミュージアムの館長を務め
ブレゲ家の芸術的遺産を守り、世に伝える活動を行っています。
みなさんも是非訪れてみて下さい♪
今日はフランスを代表する高級ジュエラー
「ブシュロン」の本店にお招き頂きました♪
1893年に構えた、美しい店内です。
螺旋階段をあがり
女性の憧れジェーン・バーキンとゲンズブール夫妻は
ブシュロンで数多くのジュエリーを特別オーダーしたようです。。。
3階の特別室・VIPルームです。
1858年の創業者フレデリック・ブシュロンの肖像画が中央に飾られています。
燃えるようなネックレス
ダイアモンドの魔法
至宝のコレクションを見せて戴き
美味しいシャンパンをご馳走になり
世界一美しい広場と称される「ヴァンドーム広場」を眺め
至福のひとときとともに・・・
True Love(真実の愛)、Honest Love(正直な愛)、Deep Love(深い愛)
Eternal Love(永遠な愛)、Sweet Love(甘い愛)
いろいろな愛がありますね!
そう ヴァレンタイン・デー ❤
ヨーロッパでは、女性からだけではなく男性からも
花を送ったり
チョコレートや
マカロンだったり
西暦270年頃、ローマ帝国では、
強大な帝国を作るため、戦いに専念するよう兵士の結婚を禁止していました。
そんな中、「ヴァレンティヌス司祭」は可愛そうな兵士たちをみかねて
こっそり結婚を取りまとめていました。
が、 皇帝の怒りにふれ、2月14日に処刑されてしまいました。。。(泣)
その後、200年経った496年、ローマ法皇ジェラシウス1世は彼の罪を許し、
2月14日を「聖バレンティヌスの日」とし、祭日にしました。
こうして恋人達のために殉教したバレンティヌスは、
「愛の守護聖人」といわれるようになり、
フランスやイギリスをはじめヨーロッパの国々では、
この日に恋人達が愛を告白するようになったようです。
アメリカでは 第一次世界大戦前後から・・・
日本では1936年にチョコレート会社のモロゾフが紹介を始めたようです。
皆さんも素敵なバレンタインをお過ごしください♪